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能楽師 塩津圭介さんインタビュー(後編)

能を通して読み解く、未知の世界との関わり方

記事作成: 松村莉奈   記事編集: 田中嘉 | Innovation |2013.09.17

日本の伝統芸能―「能」。演者の表情は一斉見せず、たおやかな動きと緩やかな節、形相豊かな面で感情を表す伝統芸は、舞台上に広がる異世界とも思える。古(いにしえ)の時と今を結ぶものとは何だろう。塩津さんは「誰にも負けないものを手に入れてください。プロ意識をもって生きれば、能の見え方は変わってくる。」と言います。能は自分の生き方と向き合う、自由で新しい芸術なのです。

前編はこちら

能楽師

塩津 圭介(しおつ けいすけ)

1984年10月27日、東京に生まれ、東京育ち。 喜多流能楽師の家系に生れ、三歳で初舞台を踏む。若者能をはじめ、能の魅力を世代を超えて伝達する試みに力を注ぐ。

学生インタビュアー

松村 莉奈(まつむら りな)

学習院大学法学部政治学科在学中。人の目をみて話せないというコンプレックスから、大学ではアナウンスを日夜練習。言葉を聞くことも話すことも考えることも好き。

塩津6

意見を共有することで生まれる可能性

―「自分が抱いていた能のイメージとずいぶん変わってきました。では塩津さんの考える、これからの能の在り方についても伺いたいと思います。」

塩津:能というのは人それぞれの解釈がある。だからこそ隣の人がどう観たんだろうというところが気になってくるはずなんです。違う言い方をすれば、現代風「サロン」のような存在になることがこれからの能の進む道かなと僕は思っています。

例えばデートで能に行ったとしますよね。見終わった後二人で食事しながら感想を言い合うんだけど、まるっきりお互いの感想がかみ合わない。デートとしては最悪ですよ(笑)でもその感覚こそが能の魅力だと僕は思っています。
さらに言えば二人の世界では飽き足らず、今度は自分の尊敬する人がどういう見方をしたのかについて気になってくるはず。サッカー選手でも政治家でもなんでも、その人にしかわからない見方がありますよね。そういう自分の見つけた能の魅力ついて語り合えるような、場がほしいと思っています。身分も年齢も関係なく、一日一度の公演に来る600人、その600分の1の存在として鑑賞後に言葉を交わせる場ができればいいなと思っているんです。

―「それは、とても魅力的ですね。自分がインタビューした方すべてをお呼びして、鑑賞後にお話ししたいです。」

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自分だけの、ゾクゾクを見つけて

―「学生の頃、能について反発を覚えたともおっしゃっていますね。
そんな塩津さんが、こんなに能の将来について考え、後世に能をつなげたいと思うようになったきっかけはなんだったのでしょうか?」

塩津:能楽師の家というのは、見えざるゴールを目指す駅伝のチームみたいだなぁとある時思ったんです。僕の先祖は戦中戦後の混乱期も僕が稽古している演目とまったく同じものを稽古していた。そして極限まで芸を高めて、亡くなる時に次の人へとタスキを渡していく。本人は、決して満足していないし、自分の芸が高まったとは思っていない。その決して満たされることのない意志を受け継いで次の者が走る。つまりもし僕がここでリタイアしてしまったら、父も祖父もその前の代も、このチームそのものがリタイアすることになってしまう…それだけは嫌だと思うようになりました。

それから、
能を見たり舞ったりしているときに感じる、ゾクゾクとする言葉にできない感覚があるんです。何とも言えない、その場にいる幸福感というか…それは、日食とか月食を観てる時に感じるものと近いような気がします。そういう言葉にできないゾクゾクした感覚を、誰かに伝えられる人になりたいと思ったんです。作り続けないと、この感動は終わってしまいますからね。

―「月食、日食、と言われるとなかなか踏み込めないようにも感じてしまうのですが…

塩津:(笑)でも結局は、自分だと思うんです。ゾクゾクを感じるかどうかは自分次第ですからね。僕にとってゾクゾクさせられる星は能だったということだけで、この世界にはたくさんの星が飛んでいるんだと思います。自分がどこでどういう星にぶつかってゾクゾクするのか。それはより澄んでいる空の方が流れ星が見えるのと同じで、澄んだ心のほうが「自分がゾクゾクする」星を見つけやすいのでしょうね。そういう自分だけのゾクゾクする感覚を見つけて、プロ意識をもって極めてほしいと思います。

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学生とは、人生最後の消費者

―「特に私たち20代の若者に向けてなにかメッセージをいただけますか?

塩津:僕は、すべてのカギは大学生にあると思っています。
というのも親御さん、学校という存在そのもの、周りの環境全てが「自分」を高めるために存在している。自分を磨くことのプロでいられる貴重な時間だからです。みなさんは「人生最後消費者」なのですから。

―人生最後の消費者、ですか?

塩津:そうです。今こうして学生として学校に通っているのも、誰かが自分のためにお金を払ってくれているからですよね。でもこれから就職したら人のために物を作る人になるわけで、それに対する何らかの対価をもらうことになります。もはや消費者ではなくなって何らかの提供者側に回るわけです。もちろん自分を高める作業は忘れてはいけないし、生きていく限り続いていくけれども、生活のため、会社のため、何らかの自分の意志とは異なるバイヤスがどんどん増えていくように思います。
だからこそ、自分を高めるために全力投球できるこの時期に無駄なこともたくさんしてほしいし、そこでしかできないことを経験してほしい。あとで振り返るとできないことって、どんどん増えていきますよ。迷ったら一年二年、余分に学校に行くのも僕はいいと思います。

学校にいれば失うものはなにもない、だからこそ不安定になる時もあると思う。そんな時に日本に能という芸があるのだということを思い出してほしいですね。700年も続いて見られ続けている存在として、みんなが抱えている問題とリンクする部分があると思います。そうやって答えのない「能」という世界を通して、ゾクゾクする自分だけの物差しを、生き方を見つけてくれたら嬉しいですね。

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編集後記

このインタビューを通して、能とは「世界」に近いのではないかとふと思った。
「世界」はただ在るだけの状態では、無解釈でなにも意味をなさない。
しかし、「僕」「私」が自分なりの「物差し」を持ち、「世界」を眺め、想像力を持って解釈することによって「意味」が生じ、「僕」「私」の“世界”が現れる。
確かに、一見すると、私たちはみんな同じ「世界」を眺めていると錯覚するかもしれない。
みんな、同じ事に感動し、同じ事に悲しんでいると考えるかもしれない。
だが、世界中に全く同じ人がいないと同じように、まったく同じ“世界”を観ている人というのはいないのだ。
そして、全く同じ“世界”を観ている人はいない、ということに気付くため=自分にしか観ていない“世界”がある、ということに気付くためには、自分とは異なる人と対話することがきっと重要なのだろう。
「君はこの世界をどのように観ているの?」といったように。
その対話を通して、自分の「物差し」がさらに明確に自分で分かるようになる。
ここからは僕の想像だが、この自分の「物差し」が明確になってくると、人間は「世界」ってもっとこうなったら面白いんじゃないかなぁ、と妄想するようになるのではないだろうか。
そして、その自分の“世界”を「世界」にするために、構想するようになる。
こんなふうにして、「世界」は誰かの“世界”を通して常に変化してきたのではないのではないのかなぁとも思った。
みなさんはどう思いますか?

グローバル化が進むこれからの時代、地域を問わずたくさんの人と接する機会が増えると思います。
そんな時、自分だけの世界観を語っていては上手くコミュニケーションはとれないですよね?
多くの人と接し、それぞれが見ている「世界」をいかに感じてあげるのか。
それが、グローバル時代のコミュニケーションの本質なのかもしれませんね。

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(記事作成:松村莉奈   記事編集: 田中嘉 )

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