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自分の選択で、道を開く

社会学者西田亮介さんに聴く!現代の若者はどう生きるべきか?

記事作成: 松村莉奈   記事編集: 松村莉奈 | Future |2013.12.24

「『若者』という言葉で分けてしまうのが、そもそもの間違いなのだと私は思います。」 立命館大学の特別招聘准教授として、ITと選挙、行政の関係など新しい社会システムのかたちを研究している西田亮介氏。
グローバル化が叫ばれる中で、若い人たちは選択肢を押し付けられているのではないかと危惧している。西田氏の考える「生き方」とはどのようなものなのか、本音でぶつかりあうインタビュー。

社会学者

西田 亮介(にしだりょうすけ)

社会学者。専門は、公共政策学、情報社会論。立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授。出身は京都府京都市。趣味はサーフィン(とその研究)。主な著作は「『統治』を創造する」(春秋社)「ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容」(東洋経済新報社)「ネット選挙とデジタルデモクラシー」(NHK出版)「無職業者白書」(バリューブックス)など。

インタビュアー

松村 莉奈(まつむらりな)

学習院大学法学部政治学科在学中。人の目をみて話せないというコンプレックスから、大学ではアナウンスを練習。言葉を聞くことも話すことも考えることも好き。情報を発信するラジオDJ、学生キャスターなどの経験に加え、人のアイデアを聴いて共有するインタビューに挑戦中。3年次に西田氏の授業を受講し、ネットメディアへの興味を深めることになった。

そもそも、若者とは…??

―今日はどうぞよろしくお願いします。先生のお話を伺うのは一年ぶりです。3年生の時にメディアリテラシーという授業をうけていましたので…とても面白かった記憶が強いです。

西田:そうでしたか!ですが、就職活動を除いて、今の大学生がなにに興味を持っているのか、未だによくわかりません。何年か前に、授業を持ち始めたころは、学生たちがあまりに自分の話に関心がなさそうで不安になったことも多々ありますね。最近は少々神経が図太くなった気がします(笑)

―著書の「統治を創造する」では東日本大震災について多く触れられていました。この著作では日本の構造に柔軟性がないことが問題なのだとおっしゃっていましたが、若い読者はその問題にどのようにアプローチしていったらいいとお考えですか?

西田:若い、ですか…個人的には若い人限定で話をするのはどうかと思っています。現実的には皆が一つの方向を向いて何かをする、ということが難しくなっているのかもしれませんね。ですから、「若い人」全員が被災地に行ったり募金をしたりということを要求するのは、それは無理な話でしょう。「そうすべき」と思った人がそうするということでよいのではないでしょうか。

「ボランティア」という言葉の語源は「志願兵」で、つまり自発性と主体性が重要です。「みなが〜すべき」という議論は自発性とも主体性とも無関係ですよね。
最近は「次世代を背負うリーダー」とか「若者」とか、とても大きな括りで、若者論を綺麗にまとめる傾向もあるように思います。

ですが、ひとりひとりは多様でバラバラに存在しているはずです。なので瞬間で気づいたことをそれぞれが取り組み、周りに呼びかけて協力を求めてやっていく。それで十分だし、それしかないのだとも思います。

―気づいた人が、行動を起こせばいい。ということですね。それでは、若者がどう社会とかかわり成長すべきなのかという「問い」自体に、西田先生は疑問をお持ちなのですね。

西田:そうですね。確かに自分より歳が上の人たちから学ぶべき点も多いでしょう。しかし、最後は自分の足で立ち、頭で考えるしかないでしょうね。ぼくがいる大学業界も雇用環境が90年代後半頃から激変していて、年長の先生方とはかなり異なった状況になってしまいました。

他の業界も多かれ少なかれ、環境の変化が起きています。先行者の経験を学ばないのは愚かですが、鵜呑みにしてもあまり役に立たないかもしれませんね。強いて言うなら「よくわからないから、若者のこれからをどうしたら年功者にきく」という姿勢自体が、問題のように感じます。

「気づき」は一人で得られない

―それでも、若者はどうやって生きればいいのか、狭く言えばどのように大学生活を過ごせばいいのかわからない人は多くいると思います。この点については、なにか学校の仕組みについて問題があるとお考えですか?

西田:この問題はいわば「鶏と卵」のような関係ですね。関心のない授業を単位をとるためだけに受けるから学生は自分で考えないし発言もない。教える側も反応がないから教え方がわからずつまらない授業をしてしまうのかもしれません。そしてつまらないと感じた学生はまた沈黙する…そのスパイラルです。

―では、そのスパイラルを抜けるにはどうしたらいいのでしょうか?

西田:教員、学生の双方が大学教育の「目的」をよく理解することかもしれませんね。もしただ単に知識がほしいなら、半年間講義を受けるより、本を読むほうがよっぽど効率がいいかもしれない。いつどのようにして読んでいても構わないですし、疲れたら寝ても怒られないわけです。(笑)

しかし、ディスカッションやプレゼンテーションとなると話は違います。これは相手がいて初めて成立するものなので、一人で努力して伸びる能力ではありません。だからこそ、大学ではゼミなどを通してディスカッションの能力を上げ、聴き手のアクションを引き出すことや、「気づき」を与えていく機会が設けられています。

またディスカッションやプレゼンテーションは場数がモノをいう側面を少なくないので、回数が重要です。これらは現在の就職活動でも重視される能力だと思いますが、大学教育のなかに潜在的にそれらを鍛える機会が埋め込まれていることに気づけば、もしかすると積極的に取り組む気になるかもしれませんね。教員もそういうことは積極的に伝えていったほうがよいのではないかと個人的には思います。

また「気づき」というのはなかなか一人では生産できないものです。
新しい世界や考え方・見識の扉となるのが、この気づきであり、大学はこの機会を提供できる存在であってほしいし、そんな教員でありたいと思います。

メディアに興味?なぜですか?

―私は大学での授業を通して、「メディア」と名のつくものに今の学生は関心が大きいと感じます。西田さんから見て、「メディア」はどのように映りますか?

西田:なぜ、みなさん、そんなにメディアや業界に関心があるのでしょうね(笑)ぼくもそれなりにマスメディアの仕事をしましたが、少なくとも職場や労働環境としてのマスメディアは、ぼくにとってはあまり魅力的に見えません。

というのも、メディアの環境はずいぶん変わりました。たとえばテレビでは、実際に番組を制作しているのは、制作会社のみなさんという場合も多いのです。番組制作のノウハウはむしろ制作会社に蓄積しているようにも見えますし、よい仕事も多いと思います。しかしマスメディアの正社員より、圧倒的に安い給料で、ものすごく過酷な労働環境のなかでテレビの世界を作っている現実をあまり知らない学生も多いのではないでしょうか。

―ではネットメディアはどうでしょうか?

西田:ネットはほかのメディアとは、全然違いますね。たとえばYAHOO!のネットニュースですが、誰が企画しているのかというと、最近は新聞業界で活躍した人や転職した記者だったりします。オールドメディアにいた人が、媒体を変えてネットメディアに進出してきています。ネットメディアのなかでも大手は経費も比較的潤沢で、余裕がありそうにも見えます。

―そうなのですね。では、個人で情報を発信している人などはどういうとらえ方をしたらいいのでしょう。新しいメディアの形として考えるべきでしょうか?

西田:個人の情報発信を信頼できる情報と判断するのはなかなか難しいですね。現状、信頼を判定する基準がほぼありませんので、受け手の「体感」に左右されることになります。この人は信頼できるけど、この人はなんだか胡散臭いな…など、個人の「体感」でしかなく、他者となかなか共有できるものではありません。

従来型のメディアでいえば、一方新聞でいえば、毎日新聞は社会問題に強い関心を持っていたり、日経新聞は企業や財界的な視点に立つことが多いといった、一定程度他者と共有できる共通感覚があります。ですから、適当に距離をとりながら受け手も情報読むことができやすいという特徴があります。時間をかけて形成してきたメディアと受け手の関係ですね。

日本のネットメディアではそれが事実上乏しく、情報との距離感がわからないため、受け手が混乱してしまいがちです。影響力に関しても、どんなにツイッターのフォロワーが多いといっても、新聞の発行部数や社会的影響力に現状はかないません。

僕自身はネットが大好きなタイプだと思いますが、しかし昨今のオールドメディア軽視の環境で、新聞を含めた影響力のあるメディアの調査力や人的資本がやせ細っていくのは、はたしてよいことなのだろうかとしばしば考えてしまいます。

西田2

自分のフィルターを信じる

―それは予想していたお答えと全然違っていました。ネットで個々に発信する人が増加する流れを止めることはできないでしょうから、それではどのようにメディアとかかわっていくべきなのでしょうか?

西田:オールドメディアともネットメディアとも接触するけれども、どの情報からも一定程度距離をとるほかないでしょうね。その上で見えてくる「社会」の輪郭とその輪郭への疑義が重要でしょう。難しい作業ですし、自分でも完璧だとは到底思えませんが、自分の考え方のクセと、なぜそのようなクセが形成されているのか、というメタ認知の重要性といいかえられるのかもしれません。

―それだけ丁寧に自分のフィルターにかけて得た情報も、目の前にいる人と自分の信じる情報が違うということも大いにありうる世界になっていくのですね。

新しい時代の働き方

―西田先生はメディアという話を中心に様々な活動をなさっていますね。

西田:今は5つくらいのプロジェクトを並行しています。研究のポートフォリオです。たとえばネット選挙は今年大きく注目されましたが、NPOや地域進行の研究などは長期的に仕事になっています。時代状況や社会状況、それから研究の進捗状況、新規テーマの開拓等を鑑みて、アウトプットが切れない状態を作るようにしています。

―そのような生き方は会社に勤めている人には難しいものですよね。

西田:どうでしょうか。というのも、ぼくにとっての大学は任期があるという点や年俸制といった相違点はあるものの、会社員にとっての会社と似ています。お給料を安定して払ってくれる存在ですね。ぼくの収入の中では、少なくない金額です。

会社に勤めながら、大学時代にやっていたスポーツに関わったり地域に貢献したり、勉強会をやってみたりという活動はできますよね。ただ、漫然と会社に勤めているだけ、という状況にしないことが大切なのではないでしょうか。

―すごく可能性を感じるお話です。ではフリーランスの働き方についてはどう思われますか?

西田:安易な道ではありませんよね。ぼくの場合大学との契約が5年なので、その期間が切れると、原則、違う大学に就職し直す必要があるという不安定要素はありますが、それでもフリーランスの方々よりは、安定した収入源があるという点で相当恵まれていると感じます。

フリーランスになれば、裸一貫で成長する機会はたくさんあると思います。でも、その分何も自分を防御するものがありません。そのリスクは非常に高いと思いますね。

一方で日本の企業は社員教育が盛んで、会社のお金で成長させてくれるシステムです。企業社会のほかにこのような機会がないことのデメリットが大きいのかもしれません。裸一貫で、生き残れる人はいいですが、うまくいかない人だって大勢います。

しかし日本社会には失敗の経験を評価するという習慣があまり根付いていません。履歴書は短いほうがいいと思われていますよね。少なくとも現状は、フリーランスにとって厳しい世界であるということは知っておくべきでしょうね。

ここにいたくない、という想い

―ここからは、少し角度を変えてお伺いします。西田先生は、読者のような若いころから現在まで、どのように生き方を選択していらしたのですか?

西田:ぼくは京都生まれで、奈良に10数年住んでいました。特に高校生のころには、関西の同調圧力が高く、閉塞的な環境がキツくて、それで環境を変えたいと思っていました。ここにはもういたくないと強く思ってましたね。東京に出てきた理由は、やりたいことがあったなどという積極的なものではなく、ほぼそれだけです。

ぼくが大学生だった頃、当金融や外資系コンサルティング・ファームがとても人気がありました。ぼくがいた大学はとくにそういった業界への志向が強く、先輩もこぞって就職していきました。23、24歳で年収1千万オーバーのような世界だったので、ぼくもコンサル業界に行きたいと思っていましたね。でも、いざ自分が進路を選ぶときには、異なったキャリアを選択することになりました。

―その選択につながるような経験はどのようなものだったのでしょうか?詳しく伺いたいです!

西田:大学に入ってサーフィンをやり始めたのです。すっかりハマってしまって…留年してしまったんですね(笑)「分子生物学購読」という授業の単位を落として、まさに1単位足りなかったのです。積極的な理由じゃなくて、ごめんなさい(笑)

留年したことがきっかけで、半分自分探しのような形で修士にいくことを決めました。その後、書いた論文が注目されたことがきっかけで、かなり早い時期に評論家として仕事をすることになり、雑誌に記事を書いたり、テレビやラジオでしゃべったりするようにもなりました。博士課程を終えて、公的機関に2年間勤めて、非常勤講師などで教育経験も積んで、現在に至ります。

西田3

自分の世界を一度、破壊する

―そうだったのですね。では。サーフィンはどういうきっかけで始められたのですか?

西田:ぼくは田舎者なので、湘南の大学にいったらやらねばならないと思っていたことが3つありました。松村さん、『湘南純愛組!』という漫画はご存じですか?

―えぇと…(笑)

西田:『GTO』の前の作品なのですが、まあ暴走族とヤンキーの漫画なんですけど、高校時代流行っていて、それを読みながら「湘南に行ったら、バイクか音楽かサーフィンをやるしかない」と思ってました(笑)そんなわけでサーフィンを始めました。完全に勘違いですね。そもそも大学も、湘南というキャンパス名こそ付いているものの海沿いではなかった(笑)

―サーフィンについて、何が西田先生にとって魅力的だったのでしょうか?

西田:自分とまったく異なった世界観で生きている人がいるのだと実感できたことです。とりわけ、中途半端な私立の中高一貫校だったので、周りはやっぱり医者の子どもとかまあそういう人たちばかりでした。皆さんはあまりご存じないかもしれませんが、サーフィンをやってる人には自営業とかブルーカラーの人がとても多いのですね。

当たり前ですが研究者の世界とは、ノリや価値観がぜんぜん違う。仕事より、家族より、サーフィン優先でやっている人もいたりします。そこで、知り合いができたり、コミュニティに参加することで、良し悪しはさておき、自分の生きてきた世界と異なった価値観の世界があるという、ある意味ではまったく自明なことですが、その事実を経験的に理解することができましたね。自分のなかのさまざまなステレオタイプが破壊された経験は、大きな財産ですね。

人生は総合力だ

―では、社会に出て稼ぎ始めたという実感はいつからだったのでしょうか?

西田:気づいたら、という感じですね。キャリアの最初はとても生計を立てるというレベルではなかったですが、仕事を積み重ねるなかで段々大きな仕事をするようになってきたという感じでしょうか。ですから、今から振り返るととても危険な橋渡りだったと思います。最初はよくわからないまま、やみくもに来た仕事をうけていました。

運が良かったと思うのは、大学院に通いながら、物書きの経験もできたことですね。いわば勝手に「リスクヘッジ」ができていたのです。

―偶然、望ましい状況におられたということですね。

西田:そうですね。やはり物書き一本というのは昨今ではとても難しいような気がします。それこそなかなか稼げませんし、キャリアチェンジも大変な印象です。ぼくは多様な選択肢を選ばないまま先送りすることができました。本当に幸運だったと思います。。

昨今「なにかひとつ特化した能力があったほうがいい」という風潮がありますが、あまり同意できません。特定のスキルは、古くなったり、機械に置き換えられたりもしますしね。やや話がずれますが、ぼくには子どもがいますが、子どもは特別な感情を刺激しますね。それは何ものと比べることもできません。

ですから、ぼくは「なにかひとつ」を選ぶということがあまり好きではありません。ひとつに絞ると、ついつい他人と比べたり、競争したくなってしまいますしね。

今の大学生に突きつけられる、矛盾

―総合力…というのは、就活で求められる「~力」のように名前の付けられる能力だけに頼らないということかもしれませんね。

西田:そうですね。そして、今ちょうど就活をしている世代の人たちは、前の世代は持っていなかった「グローバルな能力」の獲得などを求められる一方で、現実にはいくつもの阻害要因があり、相当キツいと思います。ある種の矛盾ですね。

―矛盾とは、どのような点においてでしょうか?

西田:たとえば景気が悪くなったことで、昭和の中頃と同じくらいにまで仕送りの状況が減っています。そうすると必然的に大学生はバイトで時間をつぶすことになってしまい、試行錯誤するための自由な時間や可処分所得、そして活力も奪われるという状況です。しかも失敗を許容するという文化もない。この状況で新しいことに挑戦しなさいというのは、とても矛盾していると感じます。

―その状況をどのようにして改善できるのか、私にはまったくイメージがつかないのです

西田:ぼくもよくわかりません。とりあえずむちゃくちゃな要求がなされているということを認識し、あまり真に受けすぎないようにするのがいいと思いますね。

「マラソン」を走り続ける

―お話を伺うと、人間一人一人に大きな可能性があるのだと思えてきます。今まで生きてきて、西田先生の目には「人生」という大きな流れはどのように映るのでしょうか?

西田:人生は繰り返しゲームですね。一度勝負に負けても、また次に勝負する機会があります。そもそも何に対して、どこで、何回勝負するのかも、自分で設定できるのが人生なのだと思います。

―大学生として、私が実感していることですが、就職活動などで思うように結果が出ないと、それだけで追い詰められていく学生も多いように感じます。

西田:そうですね。先ほども申し上げたように、現代の学生はとても生きづらいと感じる時があります。「就活していい会社に入らないと人生の負け組だ」と感じている人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。次の機会で勝負できるように、黙々と力をつけましょう。ぼくには、マラソンを走っているようなイメージがありますね。

―マラソンですか。

西田:はい。しかもゴールが人それぞれのマラソンです。かなりキツい。出だしで、周りと差ができたりするように感じることもあるかもしれない。それでもゲームを続けていれば、そのうち彼らが息切れしてきて追い越せるかもしれないし、そもそも目指しているゴールが違ったということに気がつくかもしれない。

もう一つは、短距離走は瞬発力や先天的な能力で結果が決まってしまいますが、長距離走は違いますね。わりと日ごろのトレーニングがものをいいます。だから短期的な成果が見えなくても、サボらず、鍛え続けなければならないと思っています。

とにかく、自分の足で進み続けるしかありません、結局のところ、若者かどうかに関係なく、自分次第なのでしょうね。

(記事作成:松村莉奈   記事編集: 松村莉奈 )

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