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【マスコミ志望必見】慶應卒の有名ジャーナリスト・青木理さんが説く。「学生時代は"遊ぶ"ことが大切。」

ジャーナリスト・青木理さん

記事作成: 中野 綾香   記事編集: 和田有紀子 | Global |2014.03.31

ジャーナリスト

青木 理(あおき おさむ)

1966年、長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、1990年に共同通信社入社。大阪社会部、成田支局などを経て、東京社会部で警視庁の警備・公安担当記者などを務める。その後、東京外信部勤務、ソウル特派員などを経て、2006年からフリーランスで活躍。丹念な取材と鋭い思索、独自の緻密な文体によって時代の深層に迫る。

主な著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)、『絞首刑』(講談社文庫)、『トラオ~徳田虎雄 不随の病院王』(小学館文庫)、『誘蛾灯〜鳥取連続不審死事件』(講談社)などがある。

学生インタビュアー

中野 綾香(なかの あやか)

1992年、長野県出身。慶應義塾大学法学部政治学科在学。

いつもは見ることの出来ない、人間の新たな一面・魅力を、インタビューを通して引き

したいという信念のもと、トモノカイgi人材projectで活動を始める。

◆大学時代、それは「クッション」のような時間

中野「青木さんにとって大学とはどのような時間でしたか」

青木「僕にとっての大学っていうのは、学びの場っていうより、いい意味でモラトリアムの時間を過ごせた場だったような気がする。一般的には良くないことなんだろうけれどね。つまり、お金はないんだけど時間だけはたっぷりあって、色々なことを考えたり色々なところを旅したり、色々な人に会ったり色々な本を読んだり……」

「何者でもないくせに、何者にもなれるんだと思い込むことが可能で、田舎から出てきて一人で暮らしながら、あれこれ夢想しながら思索できたクッションのような時間。いまから考えると、とても贅沢な4年間でした」

◆「歴史のデッサンを描く」というジャーナリストの役割

中野「青木さんは現在フリーランスのジャーナリストとして活躍されていますが、ジャーナリストを志したきっかけは何でしょう」

青木「僕は高校生ぐらいの時から新聞記者になりたいと思いはじめていたんだけど、一番のきっかけは先輩ジャーナリストが手がけた数々のルポルタージュ作品などの本をむさぼり読んだことかな。あと、大学時代にあちこち旅したことも大きかった」

「たとえば80年代末の東ヨーロッパ。世の中には色々な節目があると思うんだけど、東西冷戦の終結と冷戦構造の崩壊って、この50年間では最大のニュースのひとつであり、時代の節目だったのは間違いないでしょう。そういう世界史的な出来事の現場に立ち、何が起きているのか自分の目で見たことは、この仕事をしてみたいと考える直接的なきっかけになった」

中野「ではそのジャーナリストの魅力って何でしょう」

青木「ジャーナリストっていっても色々な人がいるから一概にはいえないけれど……。そういえば、ワシントンポストの編集主幹がかつて『歴史のデッサンを描くことがジャーナリストの仕事』って評したことがあるね」

中野「『歴史のデッサン』?」

青木「うん。英語の『ジャーナル』って本来は『日々綴る』っていう意味でしょう。要するにジャーナリストって世の中に起きるさまざまな出来事を日々記録する人。しかも、起きたばかりの出来事の現場に行き、明らかになったばかりの事実を取材して記録していく」

「その積み重ねが歴史になっていくから『歴史のデッサンを描く仕事』っていうことになるんだけど、起きたばかりの出来事をいち早く記録しようとするから往々にして間違えたりすることだってある。それでも修正や訂正を重ねながらジャーナリストたちが取材を重ねていくうち、最初はばらばらだった情報の断片が徐々に整理され、事実の輪郭が浮かび上がり、出来事の全体像が明らかになっていく」

「この記録に基づいて評論家や歴史家が論評し、検証などを加えて『歴史』がつくられていく。その最初のデッサンを描くんだから、こんなに面白い仕事はない。だって、ありとあらゆる出来事の最前線に立つことができるわけだし、ジャーナリストが現場で事実を拾い上げ、記録しないと、歴史に残らないかもしれないんだからね」

中野「確かにそうですね」

青木「その上、ジャーナリストが取材しなければ、永遠に隠されてしまう事実だってある。そうした事実をつかみ出して記録=報道することで歴史や社会が変わるかもしれない。ある方向から見るとこうだけど、違う方向からみたらまた別の事実が見えることだってある。できるだけ多様な事実を拾い集め、物事を多面的に見る機会、それを提供するのもジャーナリストの重要な仕事だと僕は思ってる」

【インタビュー】青木理2

◆自分を疑ってみる、それが「寛容」に受け入れる力となる

中野「そのように多面的に物事を捉えるにはある種の力が必要だと思いますが、それはどういったものでしょう」

青木「まず前提にしておかねばならないけれど、ジャーナリストっていうのは社会の中で弱い立場の人々や虐げられた人々の側に立つのが責務だということ。その上で、ものごとをどれくらい俯瞰して見られるかっていうのも大切になる。最近だと、たとえば日韓関係の問題がそうだよね。僕は通信社の記者時代に特派員として合計5年間ほど韓国にいたんだけど、最近の日本では一方的に相手のことを非難する声ばかり目立つでしょう」

「街角で差別的な言辞を堂々と吐く愚かな連中まで現れている。社会的マイノリティを差別するなんてとんでもないことだし、相手の立場を少しでも考えたことがあるだろうか。それ以前に、知ろうとしたことがあるだろうか。双方の立場を知り、それを俯瞰してみると、同じ出来事や事実でも解釈や立場がまったく違うことはたくさんある。竹島の問題だって、日本では単なる領土問題だけど、韓国にとっては歴史認識が絡んだ微妙な問題なんだよね」

中野「でも物事を俯瞰することってなかなか難しいですよね」

青木「本来はそれほど難しいことじゃない。当たり前の話だけど、自分の中にある固定観念を離れ、相手の立場に立ってものごとを考えてみること。そこまでいかなくても、ものごとには多様な考え方や立場があることを理解し、できるだけ寛容に受け入れようとしてみること。そのためには多くの人たちから色々な話を聞いて、いろいろなものを見て、いろいろな本を読んで、その上で考えて行動していく。それだけのことだと思う」

中野「先ほど『寛容に受け入れる』と言ってらっしゃいましたが、それを実践することは大学生にとっては難しいと思うのですが…」

青木「どうして?」

中野「今の大学生の特徴として、内向きの大学生が受け入れるのは内輪的な情報だけで、逆に外向きの大学生は自分の持っている観念が強すぎて、多方面を見て寛容に受け入れるということが難しいのではないかなと思っています。大学生がその『寛容な』力を得るにはどのようにしたらよいとお考えですか」

青木「これも当たり前の話だけど、自分の考えが必ずしも正しいわけじゃない。間違っている可能性は大いにあるし、出来事には多面的な見方がある。そういう当たり前のことを常に頭の隅っこに置いておくだけのことじゃないかな。だからこそ色々な人に会い、色々な本を読み、知識を蓄えておかなくちゃならない」

「別に机で勉強することだけが知識を蓄える方法なわけじゃなくて、たくさんの人に会って話を聞き、たくさんの場所を訪ね、たくさんの本や資料を謙虚に読む。そうすれば多面的な考え方があることに気づくはずだし、自分はこう思っていたけれどこういう考えもあったんだ、とか、そういう経験を積み重ねれば自然と寛容になれるんじゃないかな。これは僕らの仕事にもつながる話なんだけどね」

◆事実が私を鍛える

青木「僕がかつて勤めていた通信社の大先輩にあたる人で、斉藤茂男さんっていう有名なジャーナリストがいてね。もう亡くなってしまったけれど、その斉藤さんの言葉で『事実が私を鍛える』っていうのがある。どういうことかっていうと、新聞記者やジャーナリストって取材をする時、最初は一定の仮説というか、先入観のようなものを持って取材しはじめるんです。どんなにベテランの記者やジャーナリストでもね」

中野「やっぱりそうなんですね(笑)」

青木「もちろん(笑)。たとえば、ある事件を取材する時、この事件の背景にはこういう問題が横たわっているんじゃないかとか、事件が起きたのはこういう原因があったからじゃないかとか、色んなことを考えながら取材をはじめるんだけど、本気で取材をしていくと思いもよらない事実が見つかって、自分の仮説や先入観がどんどんと修正されていくわけ。これが斉藤さんの言う『事実が私を鍛える』っていうことなんだよね」

「つまり、『こうだろう』と思って取材をして『やっぱりこうだった』っていうのは全然ダメなんだと。自分が最初に立てた仮説どおりに原稿が書けたなら、そんなものは深い取材をしていないんだと。むしろそれって自分に都合の良い事実だけを拾い集めてきて『こうだったね』って書いてるに過ぎないんだって」

「そうじゃなくて、自分がこうだろうと思って取材をしていたら、反対の方向から思わぬ事実が出てきて、どういうことなんだろうと思ってどんどん取材を深めていくと、最初の考えがいかに浅はかでつまらないものだったのかっていうことが分かってくる。それこそが本当の取材だっていうことなんだけど、こういう姿勢は誰にとっても必要な姿勢なんじゃないかな」

【インタビュー】青木理3

◆  「知によって自由になった存在」、それがグローバルな人材

青木「国会図書館にかかっている標語を知ってる? 『真理は我らを自由にする』。いろいろな解釈があるけれど、真理へとたどり着くためには、知ることこそが絶対必要だと僕は思う。人間は、知れば知るほど自由になれる。逆に知らないと、どんどん不自由で不寛容になっていく」

「ものごとを多面的に見る知の蓄積がないからこそ、人々はしばしば理性を失って感情的になったり、薄っぺらで一面的な正義感を振りかざして『これは許せない』って一方的に断罪してしまう。そもそもグローバルなんて言葉はあんまり好きじゃないんだけど、最近の日本ってとても不寛容になっていて、グローバルって感じはあまりしないな」

中野「でも知ることによって自由が制限されることもあるんじゃないかなって私は思ってたんですけど…」

青木「知らないことで得られる自由なんてあるんだろうか。若い時期に無知で突っ走ったり失敗したりするのは許されるし、時には歓迎すべきことでもあるだろうけど、それは本当の自由とはいえないと僕は思う。逆に、知ることを制限するのはいまも昔も権力者が人々を都合良く統治するための手段でしょう。これは洋の東西、社会体制の左右は関係ない。戦時中の日本がそうだったし、最近なら北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)もそう。僕は取材で何度も北朝鮮に行ってるんだけど、北朝鮮が独裁国家なのは間違いないよね」

「ただし、北朝鮮があのような国になったのには日本もまったく無縁ではないから、北朝鮮だけを一方的にバッシングするような風潮は断固反対するけれど、そうはいってもあの国で『知の剥奪=自由の剥奪』が行なわれているのは事実。知る権利や言論の自由を徹底的に抑圧し、政権の実態や国内外の情勢を人々に知らせない。歴史のデッサンをするジャーナリストの仕事を許さず、歴史そのものすら政権の都合の良いものにねじ曲げる。それによって独裁的な恐怖統治を可能にしている」

中野「一方面からの情報しかないということは、そこから考えることを奪われてるってことですもんね」

青木「そう。知ることと考えることを徹底的に奪うのは独裁政権の顕著な特徴だよね。『新聞をなくして政府を残すべきか、政府をなくして新聞を残すべきか、そのどちらかを選ばなければならないとしたら、私は後者を選ぶ』と言ったのはトマス・ジェファソンだけど、ここでいう新聞っていうのは単なる新聞社という意味じゃなく、メディアとか情報とか言論・報道の自由っていうことでしょう」

「新聞やニュースを見てものごとを知り、本などを読んでものごとを考えるということは、人間が生きる上で、あるいは社会が民主的である上で一番大切なことだと思う。もちろん外国語の単語をいくつ覚えているかというのも大切な知だけれど、それを使って何を知り、考えるかということの方がよっぽど大切だし、ものごとを多面的に捉えて寛容に、理性的に振る舞える力を養うことはもっと大切。だから、知ることや考えることを制限しようとするような動きには、僕は徹底的に抗いたいと思う。最近でいえば、特定秘密保護法とかね」

◆「事実」を知り自由になる

中野「最後に大学生への一言をお願いします」

青木「うーん。最初に言ったとおり、僕は非常にデキの悪い大学生だったから参考にならないかもしれないけれど、これからの人生の中で大学生活のような時間って二度とないと思って日々を過ごしてほしいとは思う。大学の4年間は、枠にとらわれずに何でもできる。お金はないけど時間だけはたっぷりあって、可能性にも満ち満ちている。そういう4年間なんて二度とこない」

「特に『遊ぶ』ことが大切だと思うね。別に遊べっていうのはコンパとかゲームで遊べって意味だけじゃなくて、色々なところに行って色々な人に会い、色々な本を読んで色々な感動を味わってという意味での『遊ぶ』。そうしていろいろなことを知り、知ることと考えることの大切さを噛みしめ、自分なりの生き方を模索していくっていうことかな」

中野「お忙しい中、本当にありがとうございました!」

(記事作成:中野 綾香   記事編集: 和田有紀子

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