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出世する能力と社長になる能力は違う?!−出世はできたが社長になれなかった石田三成−

記事作成: 吉田 圭佑   記事編集: 和田有紀子 | Global |1600.10.21

石田三成1

「出世のゴールは社長」と考えていませんか?
しかし現実を見ると「出世に必要な能力」と「社長に必要な能力」は異なるようです…
今回はその違いを戦国の時代に生きた「石田三成」の人生から探っていきます!

石田三成とはどんな人物か?

石田三成1

みなさん、石田三成という「江戸時代一番の出世した人」をご存知でしょうか。
石田三成とは、豊臣家の家臣として活躍した安土桃山時代の武将です。武将と言っても、自ら戦場で戦う「武闘派」ではなく、政務を中心に執り行う「文治派」であったと言われています。そんな石田三成に関して最も有名なものが1600年(慶長5年)に行われた「関ヶ原の戦い」です。「関ヶ原の戦い」は天下分け目の戦いとも言われ、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将(石田三成はあくまで主導者である)とする西軍が激しい戦闘を繰り広げました。最終的に西軍の小早川秀秋の寝返りによって戦いは東軍の勝利に終わり、西軍の主導者であった石田三成は処刑されています。

石田三成の素晴らしい資質を示す逸話「三献の茶」

石田三成2

石田三成の持つ素晴らしい資質を示すエピソードとして、「三献の茶」と呼ばれるものがあります。

豊臣秀吉(当時羽柴秀吉)は鷹狩の最中に喉が渇いてしまい、ある寺に立ち寄ってお茶を要求しました。このお寺に小姓として仕えていた石田三成は、汗だくになっている秀吉を見て、大きな茶碗にぬるめのお茶をたくさん入れて差し出しました。それを飲み干した秀吉が二杯目のお茶を要求したので、三成は、一杯目よりも熱いお茶を茶碗の半分だけ入れて差し出しました。それを飲み干した秀吉がさらにもう一杯お茶を要求したので、三成は小さな湯呑みに熱々のお茶を入れて差し出しました。

秀吉は、三成のこの「思いやり」が気に入り、自分の城に連れて帰って家来としました。のちに三成は、豊臣家の家臣として五奉行の一人になるまでに出世することになります。

「敗因」は味方を信じきれなかったこと

石田三成3

そんな高い能力を持った石田三成が「関ヶ原の戦い」において「ボス」として敗北を喫してしまった原因はどこにあったのでしょうか。
それは、「仲間を信用する能力」というものが欠けていたからだと考えられます。
「関ヶ原の戦い」において、石田三成は「疑心暗鬼に陥っていた」と言われています。残された記述から、「事態がどうなるかわからない」「味方の裏切りがあるかもしれない」と三成が手紙に記していたことが判明しており、周りを信じきれなかったようです。結果、味方の結束が瓦解し、東軍7万5000人、西軍8万4000人と西軍が圧倒的に優勢だったはずの戦いは、たったの6時間で東軍勝利という形で終わってしまったのです。

まとめ

石田三成から私たちが学ぶことができるのは、以下の2点です。

  1.  出世する上で相手の様子を見て、相手が何を欲しているかを察知する能力は出世において不可欠であること
  2.  リーダーの資質として、仲間を信頼するということは重要であること

①については、他人から認められる人材になるということは、他人の要求に答えられるようになることにほかなりません。ただ、「言われたことをこなす」だけにとどまらず、「相手の求めるものを察して行動する」こともまた大切なことなのです。

②については、リーダーとして機能するには、仲間を信頼し、どんなときでも毅然とした態度でいることが重要なのです。三成の場合は、「裏切られるかもしれない」という不安を見せたことで仲間内の動揺を招き、かえって「裏切り」を誘発しやすくしてしまったということも敗因の一つとして考えられるでしょう。とにかく、他人のことを信用しなければ、他人から信頼されることなどないということではないでしょうか。

(記事作成:吉田 圭佑   記事編集: 和田有紀子

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