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「真に人の役に立つ仕事がしたかった」NPO法人アスヘノキボウ 桑原光平さんインタビュー

記事作成: 佐々木 凌   記事編集: 和田有紀子 | Future |2014.09.24

NPO法人アスヘノキボウ社員

桑原 光平(くわはら こうへい)

東京大学法学部卒業後、三菱東京UFJ銀行に入社。2013年9月に退社し、同年12月に3人目の社員としてアスヘノキボウに入社。
アスヘノキボウHP :http://www.asuenokibou.jp/

※アスヘノキボウ
2013年4月に女川町復興連絡協議会戦略室のメンバーが中心となって設立したNPO法人。
宮城県女川町を拠点に、被災地だけでなく日本全国の地方活性化を目指して活動している。

学生インタビュアー

佐々木 凌(ささき りょう)

慶應義塾大学政治学科1年、18歳。中高時代に読売新聞のジュニア記者として活動し、ノーベル賞物理学賞受賞者の益川敏英さんや、ユニセフ大使のアグネス・チャンさん、料理研究家の服部幸應さんへのインタビュー経験あり。 大学時代の目標「たくさんの人と会う」を叶えるためgi人材プロジェクトのインタビュアーを始める。

『自分たちは黒子、主役は地域の方々』

佐々木「復興に向けて活動している団体は様々だと思いますが、その中でアスヘノキボウの特徴はどんなところでしょうか」

桑原「ただこちらが支援するのではなく、女川町内の地元の方々と一緒になって外部と町内を結びつける活動をしているところだと思います。『自分たちは黒子、主役は地域の方々』をスローガンに日々活動しています」

佐々木「産業活性を活動の中心としているのは何故でしょうか」

桑原「産業活性により、地域経済の活性と雇用創出の拡大を生み出し、人の暮らしの復興に繋がるからです。もし産業の復興が実現できなければ、町から人がいなくなり、ハードの面で町を復興させたとしても、町・行政の財政が厳しくなり、町が存続できなくなってしまいます。また、メンバーが4人とも営利企業出身だということも関係しているかと思います。そこで身につけたビジネススキルを復興のために活かそうと考え、町を支える基盤でもある産業を活動の中心にしています」

佐々木「社員が少ないからこそ、一人一人の強みを活かして活動しているのですね。桑原さんはその中で現在はどのような活動をされていますか」

桑原「様々なプロジェクトを並行して行っているのですが、そのうちの一つは女川町に大学生インターンを呼びこむというものです。震災以降、東京や大阪、地元宮城など全国各地から女川町に来て、半年から1年間住み込みでインターンをしてくれた学生が10名弱いました。この流れを切らさず、もっと多くの学生を女川に呼び込むために、町内の事業者の方々と相談して学生にとって魅力的なプロジェクトを考えたり、都内をはじめとする大学で説明会を行ったり、合同説明会を企画したりしています。1週間~1ヶ月の短期のインターンに比べ、学生1人の裁量が大きいのが女川町でのインターンシップの特徴です。大学生の皆さんには、町内経営者の右腕として、本気で事業に取り組んでもらいます。毎月、活動支援金も学生の皆さんに支払われます。過去には、社長さん1人の会社でのインターンプロジェクトもあったほどです。” インターン”という言葉がそぐわないのではないかと最近思ってしまうほど、たくさんの面白い仕事を任されます。復興の手助けが出来るだけでなく、自分自身も大きく成長できると思います。今回の募集はもう終了してしまいましたが、興味のある人は次回是非応募して欲しいと思います。これからもどんどん面白いプロジェクトを作っていく予定ですし、年内には女川町のインターン専用のHPもオープンさせようと準備を進めているところです。大学生活が何か物足りない、劇的に成長したい、東北のために何かやりたい、という学生さんはぜひ女川町のインターンシップに挑戦してみてください」

まずは第1歩、踏み出すことで見つかる未来

佐々木「復興のために何かしたいと思いつつも、何をしたらいいのか分からず戸惑っている学生にとっては、うってつけの素晴らしい活動だと思います。次に桑原さんのご経歴についてお聞きします。東京大学卒業後、三菱東京UFJ銀行に入社されましたが、退職されて現在のアスヘノキボウに入社されたのはなぜでしょうか」

桑原「まず、女川町で働くことが決まってから会社を辞めたわけではないのです。会社を辞める時、女川町に行ったことは1度もありませんでしたし、アスヘノキボウの存在も全く知りませんでした。私は学生時代に、これがやりたいというものが明確に決まっていたわけではなく、就職先もなんとなく大企業だからという理由で決めてしまいました。就職してみると、仕事自体は楽しかったのですが、同時に『何のためにこの仕事をしているのだろうか、この仕事は本当に人のためになっているのだろうか』と悩む毎日でした。加えて、銀行は依然として年功序列で、自分の10年後が見えてしまうのが怖かった。先が見える人生を魅力的に感じる方もいるとは思うのですが、僕の場合は敷かれていたレールを外れてみたくなったというのがあります。また、悩んでいる時に、学生時代の恩師をはじめとする身近な人の死が続いたことも大きく影響したように思います。それまでは、色々な方に、人はいつ死ぬかわからないのだよ、と言われ、頭でわかってはいたのですが、なかなか自分事として捉えられていませんでした。しかし、身近な人の死が相次ぐことで初めて、自分の人生の有限性を肌で感じるようになりました。人はいつ死ぬか分からないのだから、ズルズル時が経って辞めにくくなるよりも、今辞めるべきだと考えました」

佐々木「安定した生活を捨ててしまうことに、迷いはありませんでしたか」

桑原「迷いというより、怖さがありましたし、上司に伝える時も足が震えました。ありがたいことに上司は会社に残るよう説得してくれましたし、そこから最終的に辞めると決断するまでは時間がかかりました。今までは志望校など大切なことは人に相談せずにほとんど自分一人で決めてきたのですがこの時は、友人に相談したり、本を読んでやはり自分の選択は正しいのだと自分に言い聞かせたりという毎日を過ごし、ようやく2週間後に辞表を提出しました」

佐々木「転職活動は全くされていなかったのですよね。それからどうされたのでしょうか」

桑原「何気ない気持ちで姉に連絡をし、退社の報告と本当に社会の役に立つ仕事がしたいのだという相談をしました。すると姉が『面白い人がいるから会ってきなよ』とある人を紹介してくれました。それが現在のアスヘノキボウ代表の小松で、姉とは以前一緒に仕事をしたことがあるという関係でした。他にすることも何も決まっていなかったのでとりあえず会ってみようということで、初めて女川町を訪れました」

佐々木「その女川町で桑原さんの人生を変える出会いがあったわけですね」

桑原「紹介してくれた姉にも感謝していますが、ここで自分が女川に行くという行動を起こせたことが、今振り返ると大きかったように思います。代表の小松は、多忙にも関わらず女川や仙台を2日間にわたって案内してくれ、女川の人たちの暖かさや芯の強さに初めて触れたのもこの時でした。そして、まったく先の見えない自分の人生相談にも応じてくれ、2つのアドバイスをくれました」

佐々木「女川の人たちとの出会い、小松代表との出会い、この2つが大きかったのですね。2つのアドバイスとは何だったのでしょうか」

桑原「1つ目は、自分がどういう人間なのかをもう一度深く考えること。今までの人生すべてを振り返って、自分の好き嫌いやどういう瞬間に幸せを感じるのかなどを一つ一つ丁寧に見つめ直すべきだということでした。2つ目は、たくさんの人と会って話をすること。自分のことを知るのに自分だけで考えているだけでは限界がある、人との会話を通じて初めて見える自分の姿もあるということでした。小松は、彼の知り合いのビジネスパーソンを数名紹介してくれました。せっかく退社したのだから、すぐに再就職せずにしばらく自分を見つめ直そうと、アドバイスに従うことにしました」

佐々木「たくさんの方々との出会いで得られたのはどのようなことでしょうか。また、このご経験から、手紙やメールでは得られないような実際に人と会うことの魅力はどんなところにあると感じましたか」

桑原「やはり、一人ひとりの方がその人だけの経歴・経験を持っているので、自分を見つめ直す上で、様々な価値観に触れられたことが大きかったように思います。自分1人で考えていても、視野を広げることはなかなか難しいですので。お会いした方に、次の方を紹介して頂き、次の方にまた別の方を紹介して頂く、というやり方で、ベンチャー企業の経営者やNPO関係者、ライターさん、経営大学院の先生など様々なキャリアの方にお会いすることができました。大学時代の就活中もOB訪問をしていましたが、その時お会いしたのはいわゆる“大企業”の方のみでしたので、今回のOB訪問では多くの価値観や生き方に触れることができ、大変勉強になりました。実際に会い、頂いた言葉というのは、本やネットで読んだ言葉よりも心に残るということも感じました。お会いした後に、印象に残った言葉をノートにまとめた名言集のようなものは、今でも大切にしている宝物の1つです」

『何をやるか』よりも『誰とやるか』

佐々木「本を読むことも大切かもしれませんが、人が人から学べることはそれ以上に大きいのですね。自分を見つめ直した結果、アスヘノキボウに入社される決断をしたのはなぜでしょうか」

桑原「3ヶ月間自分を見つめ直してみると、自分は今まで『何をやるか』よりも『誰とやるか』を大切にして生きてきていたことが分かったのです。そして、自分にアドバイスをくれた小松と一緒に働きたい、熱い思いを持った女川町の方々と一緒に働きたいとの思いから入社を決めました」

佐々木「アスヘノキボウは社員が4名の小さいNPO法人ですが、いわゆるメガバンクの筆頭である三菱東京UFJ銀行での仕事との違いはどんなことがありますか」

桑原「銀行時代は東大卒として周りから見られることも多く、それをコンプレックスに感じることも多かったのですが、今の職場ではそうではなく桑原光平という一人の人間として見られますし、代表に相談するときも必ず自分の意見が求められます。そして、一番の違いは自分一人に与えられる裁量が、銀行勤務とは比べ物にならないほど大きいことです。もちろんやりがいが大きいのですが、同時に責任も大きく、悩むことも多いですね」

佐々木「しかも、女川町の復興に関わるお仕事ですから、尚更やりがいと責任は大きいですね。一方で、三菱東京UFJ銀行でのご経験が今に活きていることは何かありますか」

桑原「振り返るとたくさんあります。一番は社会人としての基礎を身につけさせてくれたことです。挨拶や礼儀・マナーをはじめ、スケジュールの立て方までも先輩に教えてもらい、これが現在でもとても役立っています。また、そこで身につけた金融の知識は、町の人達との会話のタネにもなっています」

佐々木「経験は、意外なところでも活きてくるものなのですね。最後に、桑原さんから全国の大学生にメッセージをお願いします」

桑原「やりたいことを見つけるために大切なことは、小さな一歩を踏み出し続けることなのかなと思います。やらないで考えるのとやってから考えるのは全く違いますし、人との縁や運を生み出すのも、思考ではなく行動だと思います。自分の頭で考えることももちろん大事なのですが、とりあえず動く、行動こそがより大切なのではないかと思います。私も銀行を退職した際、姉の紹介で小松に会いに行ったからこそ今があります。とは言う私も、大学時代は食わず嫌いなところがあって、とても後悔しています。本を読んだり、人と会ったり、どこかへ行ってみたりと小さなことでいいから動いて欲しいと思います。時間のある大学生という身分を最大限活かして、たくさんの経験を積んでください。そして、ぜひ女川町のインターンシップに挑戦してみてください(笑)」

佐々木「ありがとうございました」

く

(記事作成:佐々木 凌   記事編集: 和田有紀子

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